シネクドキ・ポスターの回路

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ピーター・ガブリエルの『Mercy Street』が好きすぎた男の末路。

いろいろな音楽を聴いていると、時に「特別な一曲」と出会うことがあります。信じられないほど気持ちとシンクロしたり、思いがけず記憶がフラッシュバックしたり(共感覚、的な)して、明らかに「これは他の曲と違う」と感じられる曲が、稀にあるのです。私にとって、そういう曲のひとつであるのが、ピーター・ガブリエルの『Mercy Street』です。

今回は、いったい何人に刺さるのか(刺さる人がいるのか)分からない、この一曲だけの特集をお送りします。

 

 

 

まず『Mercy Street』とは

ピーター・ガブリエルの『Mercy Street』は、1986年に発表された5thアルバム『So』に収録された一曲です。アルバムは『Sledgehammer』などヒットシングルを多数収録したガブリエルの代表作として知られていますが、この曲はシングルカット等されておらず、アルバムのみの収録となっています。よって、認知度としてはあまりメジャーな曲ではありませんが、ガブリエルの楽曲の中でも随一の神秘的な雰囲気をもった楽曲で、ファンからの人気は非常に高い「隠れた名曲」です。

 

語りたい『Mercy Street』の魅力

まずは、楽曲としての『Mercy Street』の魅力を語っていきたいと思います。とはいえ、私の表現力だけでは伝えきれないニュアンスもあり、また「百聞は一見にしかず」という言葉も(この場合「一見」ではないのですが)ありますので、この曲を聴いたことがない、あるいは久しく聴いていないという方には、ひとまずここで一度、聴いてみていただきたいと思います。

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魅力① 神秘的なサウンド・プロダクション

アルバム『So』のプロデュースを担当したのは、U2ヨシュア・ツリー』など数々の名盤を手がけたことで知られる当代屈指のサウンドメーカー、ダニエル・ラノワです。アンビエント・ミュージックの先駆者であるブライアン・イーノからの影響色濃いラノワのサウンドは、えもいわれぬ浮遊感を感じさせる、神秘的で美しい音世界を創造しています。このプロダクションが楽曲と絶妙にマッチして、曲自体が持つ「神秘性」が見事に体現されているのです。

 

魅力② 深遠なテーマ性を含んだ歌詞

この曲は、アメリカの劇作家/詩人であるアン・セクストンの作品にインスパイアされた楽曲として知られています。歌詞の内容は、セクストンが「Mercy Street」というテーマのもとに遺した戯曲とポエム、そしてサクストン自身の生涯を踏まえたものになっています。生涯を通して神経症に悩まされ、45歳の若さで自殺したセクストンの苦悩が、彼女の作品をそのまま下敷きにして描かれているのです。ひとつの歌詞としても深みのある内容ですが、セクストンの作品や生涯について知っていると、その精神性をより深く理解することが出来るでしょう。

 

魅力③ 世界観を描き出す見事なアレンジ

神秘的で深遠な楽曲の魅力を引き立てているのが、その美しいアレンジメントです。特徴的なパーカッションを奏でているのはブラジル出身のパーカッショニスト、ジャウマ・コレア。この独特のリズムは「フォホ」と呼ばれるもので、ブラジル北部で生まれたものと言われています。このユニークなリズム感が、重厚なシンセサイザーの響きと相まって、この曲を単なる「静謐な曲」ではなく、神秘性や崇高さを感じさせる、非常にドラマティックな音世界へと昇華させている、と言えるでしょう。

 

 

いろいろな『Mercy Street』を集めてみた

聴けば、どこか崇高な印象さえ受ける『Mercy Street』ですが、曲としての構造は非常にシンプルで、コード進行も比較的単純なものです。それ故か、この曲にはいくつものリアレンジ/カバーが存在しています。

というわけで、いろいろな『Mercy Street』を集めてみました。アレンジが変わることで曲の印象がどんなふうに変わるのか、または変わらないのか、感じていただくことができると思います。

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なんといってもオリジナル版『Mercy Street』

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すでに先ほどリンクを貼った音源なのですが、やはり「オリジナル版」がなければ始まらないので、こっちにも貼ります。一応、今度はPVの方にしてみました。先述の通り、この曲はシングルカットされていないのですが、このようにPVが制作されています。やはり、アルバム曲の中では目玉の曲だった、ということなのだろうと思います。

映像の内容は、アン・セクストンを意識したもののようです。プロモーション・ビデオと呼んでいいのか、と言っていいほど、プロモーション意欲を感じさせない(むしろお客さんが逃げていきそうな)雰囲気ですが、シングルじゃないしってことで、OKだったのでしょうか。

 

フルートのソロがたまらないライブ版『Mercy Street』

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続いて、2003年のライブ『Glowing Up Live』での演奏。この曲はライブでの演奏率が比較的高く、ライブ音源も幾つか発表されているのですが、中でも個人的にベストテイクだと感じるこの音源を紹介します。

このバージョンの魅力は、なんといっても曲中盤でのフルートのソロパート。オリジナル版ではガブリエル本人によるシンセサイザーで演奏されていたこのパートを、本バージョンではリチャード・エヴァンズがフルートで演奏しています。個人的には、このフレーズはフルートなどの生楽器で演奏されたことで、はじめて本来の魅力を発揮したように思います。そのくらい、このソロパートは感動的です。

 

重厚な響きで味わうオーケストラ版『Mercy Street』

2011年に発売されたセルフカバーアルバム『New Blood』で、ガブリエルは自身の過去曲をオーケストラ・アレンジによって再構築しました。荘厳なオーケストラの響きによって『Red Rain』などの代表曲がよりダイナミックに、勇壮に生まれ変わりました。

一方、この曲の場合は、オリジナル版が含んでいたストーリー性が、よりドラマティックに表現されているように感じます。シンセサイザーを中心に、どこか閉塞的な雰囲気のアレンジが施されていたオリジナル版と比較すると、生楽器の豊かな響きが加わったことで、世界観がぐんと広がった印象です。

 

ハービー・ハンコックによるジャズ版『Mercy Street』

この曲には無数のカバー・バージョンが存在していますが、なんとあのハービー・ハンコックもカバーしているのです。カバー、というよりも「リアレンジ」と言った方が近いかもしれない雰囲気ですが、ジャズ(=即興演奏)だから仕方ありません。

1996年に発表されたハンコックのアルバム『ニュー・スタンダード』に収録されたバージョンで、演奏にはジャック・ディジョネットをはじめとする錚々たる面々が参加しています。主に70年代以降のポップスを取り上げたアルバムで、他にもプリンスやニルヴァーナの楽曲が収録されています。ジャズ畑のミュージシャンがポップスをカバーするとこうなる、という一つの例として、非常に面白い音源だと思います。

 

インディーズ・バンドのアコースティック版『Mercy Street』

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最後は、インディーズで活動しているミュージシャンによるカバーをご紹介します。2008年にローレンス・コリンズがYouTubeに投稿したアコースティック・バージョンです。Spotifyで公開されている音源はコリンズのバンドによる演奏で、この動画とは異なるアレンジです。

動画の概要欄で、コリンズはこの曲を「フェイバリットのひとつ」と語っています。そんな愛情がひしひしと感じられる、オリジナルの雰囲気を尊重した、非常に忠実なアレンジです。それでいて、アコースティック・ギターの暖かい音色が効果的に用いられており、弾き語りという角度から楽曲の新たな魅力を巧みに引き出しているカバーだと思います。

 

 

おわりに 〜 記事をふりかえって

そもそもこの記事を書こうと思ったきっかけは、YouTubeで『Mercy Street』を繰り返し聴いていて、そのうちオリジナル音源に飽き足らなくなり、バージョン違いやカバーを聴くようになって「これをまとめたら、ちょっとした文章が書けるんじゃないか?」と思った、そんな思いつき一発でした。見切り発車で書きはじめた記事でしたが、その割にはマトモな内容に落ち着いたかと思います。ただ、アン・セクストンについてはもっと勉強しておくべきだった。ぼんやりとしか書けませんでした、すみません。

記事を読んでいただいた皆さんにも、このプレイリストなどを通して、この曲の魅力を感じていただけたら幸いです(逆に「5回も聴いて飽きてしまった」みたいなことにならないよう願っています)。同じ曲をいろいろなバージョンで聴き比べてみると、それぞれのサウンドの質感の違いが楽しめたり、共通点として楽曲そのものの姿が再発見できたりして、なかなか面白いです。他の曲でもやってみようかな、と検討中です。

……そういえば、ピーター「ゲイブリエル」って書いた方がよかったでしょうか。正しい発音はそっちらしいです。ピーター・バラカンに怒られるかも、まあいいか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。