シネクドキ・ポスターの回路

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キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』はココがすごい。Part.2

続きです。

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BGMその2。

スゴさその②:魅力的なキャスト

主人公ビル・ハーフォード役を務めたのは、当代屈指のハリウッド・スターであるトム・クルーズ。そしてその妻アリス役として、実際の妻であったニコール・キッドマンがキャスティングされました。このキャスティングは、おそらくキューブリックフィルモグラフィー史上もっともハリウッド市場に接近したものであると言えると思います。

 

例えば『2001年宇宙の旅』のキア・デュリアや『時計じかけのオレンジ』のマルコム・マクダウェルなど、キューブリック監督の作品群について「作品のタイトルは知っているけど、主役を務めた俳優の名前は知らない」という人は、少なくないと思います。フィルモグラフィーを見ると、世界的な映画製作者として知られていながら、いわゆるハリウッド・スターを起用した作品は比較的少なく、あくまでも演じさせる役にマッチした俳優をキャスティングしている傾向が伺えます。

つまりキャスティングにおいて、俳優としてのネームバリューより何よりも、まず「キャラクターにフィットするか」を重視して、あくまで内容に忠実に役者を選考していた、と言えるでしょう。それは実際に、監督のあらゆる映画において、観た人の記憶に必ず「主人公」のキャラクターが強烈な印象を残す、そのことからも言えると思います。

 

キューブリック作品において主演を務めた俳優のうち、トム・クルーズは最も大きなネームバリューを誇る「スター」であったと言えるでしょう。これは80年代〜90年代が、映画産業全体が大きく成長・成熟した時代だったから、でもあると思います。市場としての拡大に合わせて、これまでにない世界規模の「ネームバリュー」が生まれたのです。そしてネームバリューは、その出演作に大きな収益をもたらすアドバンテージである一方で、同時に「パブリックイメージ」でもあることを、忘れてはいけません。

クルーズが当時(今も?)背負っていたパブリックイメージは、キューブリック監督の作風といかにマッチするのか?というか、本当にマッチするのか?なかなか想像しにくいものだったはず。ハリウッド・スターというだけではなくトム・クルーズ」というキャスティングだったからこそ、意外なものとして受け取られたわけです。

しかし、私はこの映画での演技こそ、トム・クルーズのベストアクトだと思っています。さすがクルーズ、自身のイメージなど跳ねのけて(あるいは、それ自体を華麗に利用して)他のキューブリック映画の主人公たちに引けをとることなく、完璧なまでに「ビル」を体現しているのです。

 

ここで、クルーズのフィルモグラフィーから本作を見てみます。前作はキャメロン・クロウ監督の『ザ・エージェント』で、前々作はあの『ミッション・インポッシブル』でした(どちらも1996年公開)。そして次作にあたるのは、本作と同じく1999年に公開され、アカデミー助演男優賞にノミネートされた『マグノリア』です。鬼才ポール・トーマス・アンダーソン監督の独創的なストーリーテリングが冴えた傑作ですが、この作品も『アイズ〜』と同様「大衆よりも批評家寄り」の内容で、やはり当時のクルーズのイメージからは離れた起用であったと言えます。

このように流れを見てみると、クルーズにとって1999年はキャリアの転換期であったことが分かります。メジャー作品の主役級に次々と抜擢され、幅広い層からの人気を不動のものとした後の「俳優としてのキャリアアップ」を志した、挑戦の時期だったのでしょう。その結果、この二作で彼が見せた演技は、それぞれの複雑なキャラクターを見事に体現した、素晴らしいものでした。

 

まず『アイズ・ワイド・シャット』でクルーズが演じたビルという男は、平たく言えば「とにかく翻弄され続ける男」です。周囲の人々に、社会に、あげく自分の妻にさえ翻弄され、ただひたすら戸惑い続ける真面目な男です。また、それなりの社会的地位を持っていて、それなりに自分に自信を持っている男でもあります。

主人公であるビルは、医師としてのキャリアを成功させた富裕層で、爽やかな二枚目で、綺麗な妻もいて、充実した日々が続くことを信じて疑わない真っ直ぐな男なのです。これってまさに「トム・クルーズ」という感じではないですか。私たちが映画を通して、あるいはインタビューなどを通して知る「トム・クルーズ」のイメージ、まさにそのものという印象ではないでしょうか。

一言で言えば、トム・クルーズという存在は「憧れのかたまり」なのです。二枚目、成功者、真面目、ストイック……そういう、社会における人間の美しさだけをかき集めて形作られているのが「トム・クルーズ」という幻影なのです。

※これは、トム・クルーズにまつわる「イメージ」の話で、ご本人について書いているわけではありません。

 

例えば『トップ・ガン』とか『カクテル』だったら、この善性のかたまりである「ザ・主人公」な男は、仲間たちと出会ったり、衝突したり、恋に落ちたり、別れたり、またヨリを戻したりなんかして切磋琢磨するわけで、観客もそれに感情移入するわけですが、この『アイズ・ワイド・シャット』の世界は、彼にとって漆黒の闇でしかありません。彼を受け入れたり拒絶するどころか、彼はひとり世界の外側に追いやられていて、世界は見えない手で彼を翻弄し続けるばかりです。映画の中でただ一人、青年のような顔をした彼は、この仕打ちにひたすら戸惑うほかありません。まるで、現実の世界に迷い込んでしまったピーターパンのようです。

そんな役を演じる上で、トム・クルーズ以上の適役者がいるでしょうか。私は、中途半端にカッコいいだけのキャラよりも、こういった「幻想」と「現実」の両方に挟まれた役こそ、クルーズの才能が光るキャラクターであると思います。先述した『マグノリア』で彼が演じたのは「女性の口説き方を教える自己啓発セミナーで人気のカリスマ講師」という、この上なく軽薄で胡散臭いキャラクターなのですが、これもまたクルーズが持っている「幻影性」がなければ、なかなか説得力の出せない役であると言えるでしょう。

そしてなにより、こうして自身のイメージを客観的に把握し、さらにコントロールしているトム・クルーズのセルフ・プロデュース能力は、やはりスゴいと思います。その上、そうした自己批評をちゃんと「演技」という形での表現へとフィードバックし、完成させているのだからスゴいです。まさに一流。

 

そして、ビルの妻アリスを演じたニコール・キッドマンの演技も、やはり見事です。ナイーブな主人公に対して、心根の読み切れない、複雑で不可解な女性像を演じきっています。全編のうち登場する時間は短くとも、映画全体を支配しているような存在感が羊たちの沈黙』のレクター博士を彷彿とさせます。と、個人的には思います。

それにしても、ここに実際の夫婦でキャスティングしてしまうあたり、監督としても役者自身の「俳優としてのイメージ」を取り入れてしまおう、というメタフィクション的な意図があったのだろうと、改めてそう感じます。

スゴさその③:圧巻の映像美とサントラ

この映画を語る時、なんといっても外せないトピックが、その圧巻の映像美です。私は、ここまで華麗に「都会」を観せる映画というのは、他にないと思っています。幻想的で、まさに夢のような冒頭のパーティーに始まり、魅惑的な真夜中の街並み、そして例の儀式のシーン……と、物語の進行に合わせて質感を変えながらも、オープニングからエンディングまで、一切の妥協と隙を感じさせない完璧な画面だけが連なり、構成されています。どこにでもある、平凡に思えるような街並みやインテリアが、どこか高貴な雰囲気さえ感じさせる「舞台」となっているのです。はじめて観た時には「あんな日常的な風景でも、キューブリック監督はここまで美しく撮るのか」と、衝撃を受けた記憶があります。

 

事実、キューブリック監督が現代の日常風景を映画として撮ったのは、久しぶりのことだったのです。1964年の『博士の異常な愛情』は、時代設定こそ現代でしたが、テーマが「米国・ソ連の核戦争」であったこともあって、シチュエーションが戦略会議室とか爆撃機内とか、日常風景とは程遠いものでした。

その後のSF作『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』は近未来の設定、歴史ドラマ『バリーリンドン』は18世紀半ばの設定で、続く『シャイニング』は映画のほとんどが一棟のホテルで起こるワンシチュエーション。そして前作『フルメタル・ジャケット』はベトナム戦争を描いた作品だったので、監督がストレートに現代劇を描いたのは、1962年の『ロリータ』以来のことだった、ということになります。

ちなみに『ロリータ』は、同名の原作小説が「ロリコンロリータ・コンプレックス」の語源になった、ざっくり言うと「中年男性が下宿した家の少女に一目惚れしてしまう」話です。こちらも「性衝動」がテーマになっていて『アイズ・ワイド・シャット』と通じるわけです。

とはいえ『ロリータ』はモノクロで撮影された作品なので、鮮やかな色彩で華麗に仕上げられた現代劇は、キューブリック監督のフィルモグラフィーの中で唯だこの一本だけです。普段から見慣れているものに近い光景が被写体になっていると、制作者のセンスや力量がより明確に、リアルに感じられると思います。本作こそ、キューブリック監督の圧倒的な実力がもっとも身近に感じられる作品と言えるのではないでしょうか。

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そして、サウンドトラックも最高です。テーマ曲としてフィーチャーされたのはドミートリイ・ショスタコーヴィッチによる『ワルツ第二番』です。代表作『2001年宇宙の旅』における(当時のSF映画としては異例だった)クラシック音楽を多用した演出などで知られるように、キューブリック監督のクラシック音楽への造詣の深さ、そしてそれを巧みに演出へ取り入れるセンスは、見事なものでした。

既存の音楽を、まるで映画のために書き下ろされたスコアであるかのようにフィーチャーする感性の鋭さは、本作においても存分に発揮されています。この映画を観たら『ワルツ第二番』は、たちまち「アイズ・ワイド・シャットのテーマ」として記憶されてしまうはずです。そのくらい、見事に内容にマッチしていて、かつ見事に「いい曲だけど、世間に広く知られているわけではない」ラインを突いた選曲です。

 

また『ワルツ第二番』などのクラシック曲群に引けをとらない印象を残す、本作のオリジナルスコアは、イギリスの作曲家/ヴィオリストであるジョスリン・プークによって手掛けられています。本作での起用の後に手がけた数多くのテレビ/映画へのスコア提供、PJハーヴェイピーター・ガブリエルのレコーディングへの参加、在籍しているユニット「エレクトラ・カルテット」としてのマーク・ノップラーマイケル・ナイマン坂本龍一、ニック・ケイブなど数々のアーティストとのコラボレーションで知られています。

彼女が長編映画のスコアを担当したのは初めてのことでしたが、手掛けられたスコアはゴールデングローブ賞のベストスコアにノミネートされるなど、各方面から高く評価されました。とても華麗で神秘的ながら、えもいわれぬ不穏さに満ちあふれたこのスコアは、映画の本質を見事に表現しており、映画全体の雰囲気づくりにおいて多大な効果をもたらしていると言えるでしょう。

 

おわりに

以上「映画『アイズ・ワイド・シャット』のスゴさを語る」として、2ページにわたって「自分なりに考えるこの映画のスゴさ」を、自分の思うままに書かせていただきました。読んでいただいた通り、あまり知られていないトリビアなどは特になく、情報としての量/価値で言えば皆無に等しい文章であったと思いますが、もし、この文章を読んで「そこまで言うなら」と、どなたかの初見/再見のきっかけになるようなことがあればとても嬉しいですし、自分としても書きながら「自分はこの映画のどこが好きなのか」を、再確認することができたように思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

クリスマスの定番映画になれ、とまでは言いませんが、そろそろ4Kくらい出ていいだろ、とは本気で思っています。